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名古屋コーチンの店 鳥勝の歴史


 
鳥勝は大正12年(1923年)
伊藤勝右エ門によって当時の
丹羽郡岩倉町(現在の愛知県岩倉市)に
かしわ屋(鶏肉屋)として創業されました。
 
それまでは繊維産業に関わっていた
勝右エ門でしたが、第一次世界大戦後の
戦後恐慌(不況)のあおりを受け転職を
決意。当時ではまだ珍しかった食肉に
関わる仕事をと考え、かしわ屋を立ち上げます。
 
当時は現在のように食肉産業として養鶏を
行っている業者も無く、地域の家々で少数ずつ
採卵用に飼われていた鶏の廃鶏を買い集めては
精肉して販売するという業態でした。
 
さかのぼる事20年ほど前の明治時代には
すでに岩倉市の隣、現在の小牧市で
名古屋コーチンは作出されていましたが
当時の生活で「肉を食べる」という事は
とても贅沢な事で、一般的な家庭の人に
とって名古屋コーチンを含む鶏肉は
高級食材でした。
 
 
 
勝右エ門がかしわ屋を始めて20年。
商売も順調に回り始めた頃、世の中は
第二次世界大戦に突入。
個人個人の商売の事などとても考えれる
状態ではない時代で長男は病死、次男は
戦地で帰らぬ人となる中、混乱の世の中を
なんとか鳥勝は乗り切ります。
 
 
 
戦後、勝右エ門の次女の婿
伊藤忠雄が店を継ぎ、2代目として
鳥勝を切り盛りしてゆきます。
戦後復興は目覚ましく、戦前と違い
家庭で肉を食べる事も一般的になります。
現在のような大型モールやスーパーも
この時代には無く、鳥勝のような
「商店街の肉屋さん」は生活に
欠かせないものとなり、賑わいます。
 
この頃の鳥勝は以前のような
鶏肉だけの販売ではなく、豚肉や
調味料などの販売も行うようになり
さながら小さな商店のような
位置づけとなっていました。
 
 
 
高度経済成長期に入り、物が
飛ぶように売れた時代。
この頃になるとある問題が起きます。
海外から入ってきた「ブロイラー」が
市場を席巻し、それまで各地で
食べられていた「地鶏」が衰退の
危機に陥ってしまいました。
それは名古屋コーチンも例外ではなく
一時は絶滅すら危惧される程でした。
 
そこで岩倉市内の名古屋コーチンに
関わる業者が一致団結し名産品として
名古屋コーチンの再興に乗り出します。
昭和60年には岩倉市主導の元
「岩倉市名古屋コーチン振興組合」が
発足されるなど、取り組みを強めます。
 
それまでも鳥勝では名古屋コーチンを
取り扱っていましたが、この時代を
期に、鳥勝にとって名古屋コーチンは
とても重要なものとなってゆきます。
 
 
 
 
時代は平成に移り変わり、スーパーや
大型店の台頭で町の商店街はどんどん
衰退の一歩を辿ってゆきます。
岩倉街道沿いの商店街も例外ではなく、
高齢化もあり閉店する店も多くなりました。
そんな時代、鳥勝は今までの小売りメインの
業態から「名古屋コーチン専門店」として
飲食店への卸売りや贈答品としての
名古屋コーチンに活路を見出します。
 
地域の祭りなどにも積極的に参加し、
名古屋コーチンのおいしさを再認識
して頂こうと奔走します。
この頃からメディアや誌面に取り上げて
頂くことも増え、PRにも力を入れて行きます。
 
 
 
 
そして現代、伊藤忠雄の孫婿
杉渕寛が店を継ぎ、伊藤勝右エ門の
時代から100年変わらないやり方で
名古屋コーチンをさばき、飲食店や
旅館などへの卸、個人客様の贈答用や
ご家庭でのご利用など全国の皆様に
ご愛顧頂いております。
 
業態は伊藤忠雄の時代から変える事無く
ホームページの公開やブログ、各種SNSや
Youtubeへの動画公開など、時代に即した
PRの活用も取り入れています。
 
 また食の安全安心や「命を頂いている」
事への啓発活動も取り入れており、
鶏をさばく所をご覧頂けるツアーの
開催など、今の時代だからこそ必要な
活動も行い、現在に至っています。
 
歴史と技術に裏打ちされた、本物の
「かしわ肉」名古屋コーチンを是非
ご賞味ください。